ラオス支援プロジェクト
こんにちは後藤です。
皆様から頂きました衣類の支援物資。無事に現地の村人に届けることが出来ました。
このプロジェクトに賛同して頂きました迫本社長。
沢山の支援物資を寄付して頂きましたサンクチュアリ会員の皆様。
この場をお借りて感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
2020年、この光景がきっかけで、私はこの地域への支援活動を開始しました。
自分の背丈と同じくらいのカゴを背負いながら、しかも裸足で親の仕事の手伝いをしている私の甥っ子と同い年くらいの子供。
これまでの活動の風景はあえて載せませんが、この日常を迫本社長に話し、よっしゃサンクチュアリで出来ることをやろうよ!と賛同して頂き、秒速で実行して頂き、晴れて今回報告できる運びとなりました。
2022年1月19日、最初の支援物資が大阪からラオスへ向けて出発しました。
コロナウイルスの影響は物流にも影響しており、ラオスへいつ着くのか、本当に着くのか、不安の中での発送となりました。
2022年4月1日、2ヶ月半かけ、ラオスの首都ヴィエンチャンへ12箱の支援物資が到着。
2022年4月7日、私が住むシェンクワン県の山奥に無事に到着。
船、トラックを何度も乗り換え、無事に届き感動。
この様な支援活動は、例えば現金を支援すると、実際に支援を必要としている人々の元に届く間にいくつもの手数料や費用がかかってしまったり、物資であっても支援を必要としていない人の手元に渡ってしまったりするのが現実です。
今回は最寄りの役所の様な施設で、この地域で特に貧しく支援を必要としている家庭を聞き、8つの村、約30家庭に支援物資を、もちろん私が直接配る事にしました。
1つ目の村
双子ちゃんの両親は亡くなっており、おばあちゃんと暮らしています。児童養護施設はもちろんありません。
2つ目の村
初老の男性は義足生活をしており、仕事を行う事ができません。日本では出来るパソコンを使った仕事などはこの地域にはありません。
3つ目の村
4つ目の村
5つ目の村
6つ目の村
袋の後ろに立っている女の子、私の甥っ子と同じくらいの大きさだったので2歳前後かと思ったら、4歳でした。
栄養が足りていないのですね。
7つ目の村
8つ目の村
おまけ
帰り道、何をブラブラさせているのかと思ったらヘビ🐍でした。
今晩のおかずかな?
今日を終えて
ラオスは後発国といい、よく耳にする発展途上国のもう一歩後に分類されています。
首都ヴィエンチャンには外資系(多くは中国、タイ、ベトナム)資本も積極的に入り始め、発展目覚しく、とても活気を感じます。
しかし一度首都を離れれば、戦後の日本の様な環境で生活している人々が大勢います。
私の住むシェンクワン県という地域は世界一空爆を受けた地域と言われており、今でも不発弾の被害が相次いでいます。
そして、インフラも整っておらず、冬には気温が氷点下になる様な地域で、支援を必要としている家庭がこんなにもたくさんあるのだと判明しました。
今回は8つの村を訪問しましたが(村長の家を探すのにとても苦労しました笑)、どこの村も50〜100の世帯があり、1世帯 5〜10人。多い村では1,000人ほどの村人が生活しています。もちろん、土地を所有し、仕事に就いている人々も沢山います。一方、体にハンデキャップを抱えており仕事に就けなかったり、田畑を所有していなかったり、親を失っていたり、そういう人々が私の想像以上に近隣にいることが分かりました。日本にあるセーフティーネットの様な制度はもちろんありません。誰かが支援をしなければ,,,,,
私がやれる事はとてもちっぽけで、彼ら全員を救う事は不可能です。
しかし、この地で生活させて頂き、何かこの地の役にたちたい。日本とラオスの架け橋になりたい。
日本に生まれる。それだけでどれだけ恵まれているのか。
そう強く感じた1日となりました。
支援は継続して行わなければ彼らの生活をサポートできません。
各村長に話を聞き、彼らが一番必要としているものは食料、衣類だということが分かりました。
ラオスでは、私が出来る事は継続して行っていきます。
サンクチュアリ会員の皆様、衣替え、断捨離の際に出る衣類がありましたら、ぜひ彼らに届けて頂けないでしょうか。
もちろん郵送費、諸経費のかかるプロジェクトです。サンクチュアリモールから、ポイントで支援して頂けるクラウドファンディングも募集させて頂いております。ぜひ、皆様のご協力をお願い致します。
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