1年ぶりに日本に帰国をしておりました。
約半月の帰国。
病院→病院→病院,,,,の合間にプライベートの用事を入れ、バタバタあっという間の帰国期間でした。
ラオス生活4年目の私ですが、今回の帰国を通じて、3年前にラオスで感じて未だに答えが見つからなかった
”疑問”
の答えが少し分かった様な気がします。
”なぜ彼らは水道もガスも通っていない不自由な山の中の生活で、幸せそうな顔をしているのか。”
3年前に初めてラオスの山岳地帯に入り、彼らの生活を目の当たりにし、
小学校の社会の教科書で見た”過去”の生活を送る人々。
とても衝撃的な光景だったが、子供から大人まで、彼らの笑顔は日本で見る日本人の笑顔とは全く違っていた。
彼らはなぜこの不自由な生活で、笑顔でいることができるのだろうか。
日本で”本当に幸せな笑顔”をしている人は一体どれだけいるのだろうか。
私が日本で見せる笑顔と、彼らの笑顔は何が違うのか。
3年間彼らと同じ様な生活をし、彼らの生活について分かったことは、
”ここには何も『無い』が、生活する最低限のものは『有る』。”
ということ。
水道はないが、小川はある。
八百屋はないが、畑はある。
コンビニ、スーパーはないが、家畜はある。
お金がないが、将来の不安はない。
↓
お金はないが、衣食住、仲間はある。
彼らがここで生活する上で、この最低限の物がある。ということは、彼らにとって十分な幸せの条件なのだ。
”日本はとても暮らしやすく、そして不自由。”
私は日本が世界で一番好きだ。
どこに行っても清潔だし、何を食べても美味しい。
こんな国は世界中で日本だけだと思う。
私がラオスと比較した日本の欠点は
”選択肢が多すぎる”
という事。
日本では何をするにも選択肢が多い。
朝起きてから、どのテレビ番組を見るか、朝食はパンか米か、服は何を着るか、どの電車に乗るか、通勤中にスマホで何をチェックするか、夜の間に更新されているSNSのチェック、LINEのチェック、昼食は何を食べるか、誰と食べるか、職場、仕事後はどこへ行くか、ユーチューブを観るかネットフリックスを観るか、夕飯はどうするか、寝るまでどう過ごすか、、、
そして、
”その選択は過去より豊かなものでないと満足できなくなっていく。”
私は、これが我々の生活の欠点なのではないかと思う。
良いサービスを受けたら、次はそれ以上でないと満足できなくなる。
おいしい食事を食べたら、次はそれ以上でないと満足できなくなる。
素敵な洋服を着たら、次はもっと素敵な洋服でないと満足できなくなる。
今まであったものがなくなると、満足できなくなる。
欲求に天井がなくなり、幸せを感じるレベルにも天井がなくなってしまう。
結果、劣等感が勝り、幸せを感じなくなってしまう。
今回の帰国を通して思った事。
日本には素晴らしいサービス、物、食、があふれており、世界一暮らしやすい。(私は日本が世界一好きだ笑)
しかし、この事が、日本人の脳を疲弊させ、本当の笑顔を奪っているのではないか?
生活の質が上がっていくと、昔幸せだと感じていた事を忘れてしまう。
玉置浩二のメロディーや、THE虎舞竜のロードを聴いたりして、少し昔を思い出して見ませんか?☺️
子供の様な無邪気な気持ちと笑顔を、日本人に忘れないで欲しいと思うと同時に、ラオスの生活をサンクチュアリ会員の皆様に発信し、何かを感じてもらうきっかけになれば幸いです。
真面目な内容のみまもるめ通信でした笑笑